安里繁信のしげ脳vol.357 「取材担当・朝子の卒業!」

安里繁信

2020年12月30日 11:13

安里繁信のしげ脳vol.357
「取材担当・朝子の卒業!」



2008年にグループ会社の社員向けのメッセージとして連載開始したブログ「しげ脳」。
その当時からインタビュアーをしている幸喜朝子が、本業と育児に集中するため卒業となりました。会社経営と育児が落ち着くまで、秘書室広報担当に運営をバトンタッチいたします。

参考:しげ脳vol.1「はじまり」はこちら
http://and-symba.net/archives/200807-1.html


安里)
このしげ脳を始めた頃からずっと
取材担当してくれている朝子が卒業することになりました!
本業が忙しいということで
運営を僕の秘書室広報担当にバトンタッチします。

幸喜)
気がつけば昨年、安里会長が参議院選挙に出馬された際にパンフレットに載せるための稲嶺惠一元沖縄県知事との対談をインタビュアーとして担当させて頂きましたが、その直後に本業であるブエノチキンにテレビの取材が来てお店の忙しさがパンクしてしまって・・・経営と育児で私自身もパンクしてしまい、結局1年間もしげ脳の更新ができておらず大変ご迷惑をおかけしました。

安里)
本業が忙しいのは素晴らしいことだよ!

幸喜)
しげ脳スタートから10年以上、会長の教え通りに社長になって、会長の教えの元に行動していたらとんでもなく事業が発展しました!今日は一旦卒業ということで、昨年の総括と、今何を考えているかをお聞きしたいなと思います。

安里)
今はね、これ!


「100年企業戦略」

(本を見せて)

昨年、想定外の参議院議員選挙への出馬があって、
それがすごくやりきった感があって。
そのあとに今僕がすべきことは
初心に返って自社の経営だなと思ったんです。
そうしたらその矢先にコロナウイルスの世界的な流行になったでしょう。

神様がもう一度地に足つけてしっかりやれと
示唆してくれたと受け止めて、
政治ごとから一線引いて
百年企業を目指そうと決めたんです。


幸喜)
そうなんですか!一昨年の沖縄県知事選挙の候補者としての活動と、それを辞退した後の参議院選挙への出馬があったので、今年も政治の世界を目指されると思っていました。悔しさは残っていないんですか?

安里)
いや・・悔しさはなくて、とにかくやりきった感ですね。

幸喜)
そうなんですね、会長だからこそ知ってる課題が多いだけに、自分なら沖縄をこう変えられるのに!という思いがあるのかなと思いました。私たちヤング世代の経営者でも会長を応援してる方が多かったんですが。

安里)・・・朝子もヤング世代なのか?(笑)

幸喜)
はい・・・まだまだ39才、ヤングアラフォーです(笑)会長なら経営の視点で行政をよくできる部分が多いんじゃないかという点で期待していたので悔しい思いがありましたから、会長自身はさらに悔しさが大きいんじゃないかと思いました。

安里)
うーん、そもそも2019年2月に行われた
辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票で
移設反対が70%以上の結果が出た後だけに、
保守にとっては最初から厳しい選挙だとは分かっていましたからね。
誰が出ても勝てる選挙だったら
僕みたいな人間を候補者にすることはないんですよ。

勝てない選挙だから、僕が選ばれた(笑)


幸喜)なるほど!!!

安里)確かに気づきはたくさんありました。
僕が以前に(財)沖縄観光コンベンションビューローの
会長をしていた時に、経済振興の立場で
沖縄の41自治体、49の有人島を巡ったんですが
その時はみなさん「地域の自慢」を見せてくれたんですよ。
うちの特産品ですとか、こういう歴史があるんですとか、
その島の褒めて欲しいことを教えてくれたんです。
だけど昨年、選挙に立候補する立場でもう一度同じ所を回ったら、
課題や悩みや不安や怒り、そういうことを伝えてきたんです。
僕、全部の離島を回って
沖縄の内情を分かってる気になっていたのが恥ずかしくなって。
沖縄に対する理解の深さが増しましたね。

でも僕自身伝えたいことは伝えたから、
もう区切りがついているんです。
それよりも、今回のコロナの世界的流行を受けて、
そもそもの自分の会社をどんな時代でも
沖縄の真ん中で立ってられるようにしようよということで
経営を預けていたシンバホールディングスのCEOに戻り、
これまで支えてくれた方に経済という側面で
恩返ししていきたいなと思っているんですよね。

ちょうど、親父が創業した会社「あんしん」創設から55年。
親父が会社を立ち上げて、30年前に僕が入って
トラック運転手から始めておやじと二人三脚、
お互い喧嘩しながらがむしゃらに何とかやってきて。
それから28歳の時にご縁があり㈱宣伝を設立し、
「沖縄社会に存在感のある会社にしたい」
「従業員が家族に誇れる企業グループを目指そう」という理念のもとで
シンバホールディングスを立ち上げて・・
それがもう17年目。


今は政治のイデオロギーを一旦横に置いて
経済人の安里繁信として、起業家として、
初心である「私たちは人と世のために
活きる存在でありたい」という理念と、
ワンストップソリューションの
サービスを再構築していこう、
それがシンバ創業者としての
社会的責任だと思ったんですよね。


幸喜)
この恐慌だからこそ大切にすべきものがはっきりしますよね。それにしても会長が経営に戻ってくるなんて・・各社社長さんたちヒヤヒヤドキドキでしょうか(笑)

安里)
いや、ワクワクでしょう!


この時代って強いものが
生き残るわけではなくて、
賢いものでもなくて、
変化に対応できるものしか
生き残れない。


今の時代に求められるグループ会社って何だろうということを
各社の社長さんに課題として投げているところです。
進化していこうよ、と。
沖縄全体を見た時に我が社や
安里繁信ができることを一生懸命考えています。

幸喜)
本当ですね、私も小さいながら社長になってやっと5期目になりましたが、会社としての体制を全て一から作っているのですごく時間がかかってしまって。一年かけて就業規則を作って、また次の一年で給与体系を作って・・。

安里)
だって、通常の業務やりながらでしょう?それぐらいかかるよ!

幸喜)
それにしても不器用すぎていつもクヨクヨしてますが、そうやって体制を作りながらよく思い出す会長の話があって。シンバグループの大元であり安里会長のお父さんが始めた(株)あんしんも昔は掘っ建て小屋みたいな社屋で台風の時は飛びそうだったとか・・それが今やこれだけの大きな社屋があってたくさんの社員さんが働いていると思うと、どんな大企業も小さい規模から一歩一歩、歩んで行ったんだなと、すごく励みになります。楽して近道はないんだろうな、と。


安里)
企業経営していると春夏秋冬あって、
世界中が今は冬になっているだけで
冬でも求められるものが生き残る。
みんな冬をなぜ耐え忍ぶかというと、
春がくることを知っているから。
新しい春が来た時にどんな景色が広がってるかは
誰も分からないけど、精一杯生きるしかない。
トップが苦しい顔してたら会社も社員さんも気持ちが持たないし、
ポジティブに春を待つ器の大きいリーダーのいる会社は
前向きに乗り越えるはず。
全て組織のトップ次第だよね。
これからもクライアントに必要とされる
企業グループであり続けるよう、
僕自身、日々精進してまいります。

幸喜)
予想しない事態にも変化して対応できるリーダーでいなければと痛切に思いました。

安里)
ここまで観光客が来ないなんて誰も思わなかったよ。
でも、ここから学ぶことが本当に多いし、
僕自身に関しては昨年の出馬では負けたけども
仲間という財産ができた。

人生に無駄なものなんてないから
このコロナで学んだことで次くる春に備えたら
めっちゃ面白い人生になる気がするんだよね。

まあとにかく、これ以上ね、大社長・朝子を
僕らの仕事に縛っている訳にもいかなくなったので(笑)
一旦卒業!
次はゲストとしてきていただきたいな。
これも全てご縁ですので。

幸喜)
はい・・・ちゃんと大社長になれたら戻ってまいります!

安里)
12年間本当にありがとうございました!


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