安里繁信のしげ脳vol.336「30代後継者座談会~その2~」

安里繁信

2017年08月17日 11:36

安里繁信のしげ脳vol.336「30代後継者座談会~その2~」

「上間弁当天ぷら店」「兼城自動車」「SUNSET FARM IKEHARA」をそれぞれ営む
上間喜壽さん、兼城力也さん、池原公平さんを迎えての座談会、第二弾!
3名の30代ウチナーンチュ後継者とともに、
同じく後継として家業を成長させてきた安里繁信が
それぞれの苦労話や取り組みについて語り合います。

「30代後継者座談会~その1~」はこちら
http://shigenou.ti-da.net/e9732647.html

●上間弁当天ぷら店webサイト https://uemabento.com/

●兼城自動車webサイト http://kaneshirojidousha.com/

●SUNSET FARM OKINAWA webサイト http://sunsetfarmokinawa.click/




幸喜)
安里会長も20代で父親の会社に入られてますが、
みなさんも20代の初めに事業を継がれていますよね。

兼城)
僕は26才の時ですね。
うちの兼城自動車整備工場は今年で50周年、
僕は三代目なんです。

安里)
兼城さんは中国で物流をやってたという
ちょっと異色の経歴ですよね。

兼城)
はい、シアトルで就職した物流会社の
中国支店の立ち上げがあったので
青島に行ってチーム編成や人材のトレーニングをしてました。
そこでいい流れを作れてたので実家の借金も返せるんじゃないかなと
自信もありましたし、挑戦したいなと思って沖縄に帰ってきて。
そこから僕の大変な冒険が始まるんですが(笑)

幸喜)
その実家の借金は確か・・。

兼城)
2億4千万です(笑)




池原)
大冒険だ(笑)

上間)

蓋を開けたら借金、というのは
後継あるあるですね(笑)


僕は大学卒業したら弁当屋を手伝うことに決めてましたが
大学4年の12月ぐらいに税務調査が入って。
うちの親はものすごい丼勘定でやってたし、
沖縄の弁当屋さんってどこもそうなんですが
ほっとくとご飯の量がどんどん増えていくし
とんかつもどんどん大きくなっていくんです(笑)
お客さまは来てくれるけど会計は厳しくなりますよね。
当時どれぐらい丼勘定だったかというと
レジがなくてダンボールに現金を投げ入れてた(笑)
そこに税務調査が来て追徴課税で8千万円取られたんですね。

一同)うわ~!

上間)
そもそも何で税務調査が来たかというと
両親は何を思ったのか、お客さんがどんどん来るから
工場をでかくしてやろうと考えて
1億2千万円ぐらいかけてドーンと工場を建てたんです。
そしたら税務署からそのお金はどこから来たの?と(笑)
なので僕がちょうど大学を卒業するタイミングで
すごい借金が二重でドカンと来てしまって
お店自体もうやっていけないかもという話になってましたが
妹もお店を手伝ってたし、このまま潰れると
家族の居場所がなくなる、それはまずいと思って
じゃあ僕が代表やりますと、そこで経営をスイッチしました。
それと同時に財務上の問題もあったので法人化して


社長としての初仕事は
連帯保証人の判子を押すという(笑)
今でも忘れられないですね。




幸喜)
重たい初仕事ですね!!
それが何歳ですか?

上間)
23歳です(笑)
最初は経理などの本ばっかり読んでたし
お坊ちゃん扱いされてて
「よしくん」なんて呼ばれてましたが(笑)

池原)
僕は23才の頃に父に弟子入りという形で働き始めました。
父は個人農家でしたが菊の生産者としては有名だった。


でも正直、菊農家の後継者になろうとは思ってなくて。
お金を貯めたら自分で別のことを起業しようと思ってたんですが
妻に「経営者になりたいなら農家を法人化したら」と言われて、なるほど、と。
それで31歳の時に法人化しました。





幸喜)
私は30才で広告代理店を退職してお店に入りました。
働く前は父に給料20万円と言われていましたが
だんだん減らされて働き始める頃には
母から「5万円」と宣告されて(笑)
安すぎるとブーブー文句を言ってたんですが、


なんと上間さんは最初の給料2万円、
兼城さんに至っては0円だったと聞いて
私はだいぶ贅沢だったんだなと(笑)



兼城)
はじめは自分のお金を使っていろいろ試してましたね。

安里)
巷では二代目、三代目って甘いよね、
甘やかされてるよね、っていう批判の声って多いと思いますが
世界の経営学をおさらいしていくと
ファミリービジネスでの継承の仕方が全体の90%、
100年を超える企業の継承モデルとしては
一番正しいということが結論づけられてる。


沖縄でこそ二代目、三代目って
頑張ってる感じがするけど
京都に行くと
まだベンチャーって言われる(笑)


向こうは十代目、二十代目が普通ですから。

幸喜)
我々まだまだですね〜。

安里)
僕は後継でもありますが、
自分で宣伝という広告代理店を立ち上げたのは28才。
これはOCC(沖縄クリエイティブセンター)という
広告代理店を引き取って名前を変えたんですね。


当時あんしんが年商10億ぐらいで、
OCCは年商17億ぐらい。
それだけ規模の違う会社を引き受けたんです。


上間)
すごい決断ですよね。
どういう経緯で引き受けることになったんですか?

安里)
話すと長いんですが、
あんしんを年商10億まで伸ばして
そこそこ頑張ってたんですが、
労働三法の見直しとかがあって
週休二日制度ができたんです。
みなさんは週休二日が当たり前だと思いますが、
あの頃の大人はみんな土曜日まで働いてた。
もちろんトラックの運転手もですから、
週休二日になると売上が1/6減るわけです。
せっかく10億の大台に乗ったのに売上が減ってしまう。
じゃあその分どうするか、ということで
引っ越しサービスを始めたんです。

幸喜)
そういう経緯なんですね!

安里)
それで、引っ越しサービスをするなら
テレビCMを打とうか、ということになって
そのCMに使ったのがkiroroの「長い間」という曲で、
それが大ヒットした。
彼女たちもメジャーデビューして、
あっという間に紅白歌合戦に出るまでになって。
そしたらダウンタウンが司会をしてた音楽番組に
kiroroさんが出た時に僕もちょろっと出て
「間違いなくヒットすると思った」ってコメントしたんです。


そしたら全国からデモテープが届いたんです!
その時、僕はただのトラックの運転手だよ(笑)


それと合わせてテレビCMを作ってくれっていう
依頼も殺到したんだけど、
僕のこの性格だから全部引き受けた。
そのための会社を作って受注して、
その発注先がOCCなんです。
当時、広告代理店として県内ナンバー2の規模でしたね。
そうやって取引する中で当時の社長さんから
会社ごと引き受けてくれと話が来たんです。

兼城)
そんな展開ですか!

安里)

それも銀行に相談したらみんな反対でした。
僕に資金があるわけでもないし業界も違うし
ましてや自分の会社あんしんより
規模が大きいわけです。


でも当時の財務部長と一緒に試算して
月賦で買い取り金額を返済したらいけるという算段ができたので
OCCと交渉してオッケーが出たので決まったんです。

池原)
月賦ですか~(笑)

上間)
株式の買い取りですか?

安里)
営業権に関わる債権債務の譲渡、ですね。
売り掛けも焦げ付きも全部引き取るということです。
どんな取引があるか分からないんので、
弁当箱の中身を引き受ける感じです。
それを僕が個人でやってた広告会社の器に入れて
社名を変えて新設の法人にしたわけです。

上間)
債務もあったんですね。

安里)
あったよぉ!それでも僕にとってはプラスが大きいと踏んだ。
それで先方からは1年かけて引き継いでくださいと言われたんだけど、
1ヶ月で引き継ぐと言って会社に入っていきました。
当時28歳だよ、会社の役員さんは年上しかいないし
社員も一気に100名抱えて。

池原)
社内の人材配置も変えたんですか?

安里)
うん、全員と個人面談やった上で適材適所を考えて。
もちろん、役員の方も含め辞めていった方もいます。
でも僕が発注側だった頃からの付き合いで
人間関係は作れてた部分もあったので、
引き継ぎは1か月でなんとか進めましたね。

幸喜)
いや~銀行に反対されても話を進めるなんてすごいですね。

池原)
事業計画があったんですか?

安里)

いや、当時は事業計画どころか
とにかくやる!
ということしか考えてなかった。
理屈の前に運命だな、みたいな。



一同)
すごいなぁ!

幸喜)
それでどうにかまとめるからすごいですよね!
会長にも結果オーライにならないことってあるんですか?

安里)
もちろんあるよ!

池原)
結果オーライと言えども
広告業界の利益構造は把握してたんですよね。

安里)
自分の営業力にも自信があったしね。
でも当時は、2チャンネルは
僕のホームページだっていうぐらい
僕のネタばっかりで参りましたよ。
とにかく叩かれてばっかり。
この性格なんで、なにくそもっとやってやると
逆に励みになりましたが(笑)

一同)爆笑

安里)
あとね、会社の買取の時に僕が考えたのはグロスのこと。
あんしんで言うと、トラック1台買うのに1千万かかるんです。
そのトラックで月の売り上げで人件費や減価償却を引いて、
1年で売り上げを10%伸ばせたとして、
年商4億円の10%って4千万円でしょう。


じゃあ僕の1年間の生産性って
4千万しかないのか、
他の方法でもっと生産性を
上げられるんじゃないかな
と思うようになったんです。




一同)なるほど。

安里)
確かに着実に事業を成長させてるよ、
でも僕はこれをいつまでやるんだろう、って。
トラック1千万円の投資より
100万円でもっと
リターンの大きいことができないかな、
ということを考えていた頃に
広告代理店の買取の話が来たんです。

兼城)
その方がリターンが大きいと考えたんですか。

安里)
うん、、、その会社を買い取った額が安いかどうかは
人それぞれの判断になると思うんですが、
僕が考えたのは、トラックを何台か買うのと会社を買うのでは、
どっちが一年間のグロスをあげらられるのか?ということです。


例えばトラック1台1千万円で買っても
年間売上はだいたい1千万。
10台買ったとしても1億でしょう。
だけど、広告代理店を買うと
17億のグロスは稼げるわけです。


2年間は僕が役員報酬をもらわなければキャッシュは回るし
5年では清算できるなと。

幸喜)
へえ、広告業界はこれから伸びるぞ!変えがいがあるぞ!!
という考え方とはまるで違うんですね。

安里)
うん、僕の投資の目線はいくつかあるんですが、
このケースはこんな感じでした。
10億の会社を10%業績上げた、それもすごい、
片方でこの17億円の会社を僕が1年間で立て直した時に
グロスで17億売り上げが増えるわけです。
宣伝は今では30億を超える売上規模になってますが、
そんな風に僕が1年かけて一つの会社を立て直すことができれば、
この分が全部プラスになる。

一同)なるほど。

安里)
なんでグロスのことを考えてたかというと
いろんな先輩方と話す中で僕がいくら生意気なこと言っても
「で、会社の年商いくら?」って聞かれるわけですよ(笑)
そこで「一生懸命稼いで3億いきました!」なんて言っても
「一桁かぁ。まぁ頑張ってるよね」なんて言われて相手にされない。
そんなレベルの方々と対等に渡り合うには
ある程度のグロスが必要だったんです。

幸喜)
なるほど、会長はそこに行きたかったんですね。

安里)
そこと、その先だね。

池原)
それを早く手に入れるためにトラックを何台も買うよりも
会社を買うことにしたんですね。

上間)
車じゃなくて時間を買った、ということですね。

安里)
そうそう、銀行から借り入れするのも
時間を買ってるようなものだから、それと一緒だよね。

兼城)
そういう考えに至るのは、もともとの性格ですか?
会長はどんな学生時代を過ごしてたか気になります。

安里)
僕はね、中学時代から日雇いのバイトを見つけて
仲間を連れてって、業者からもらう
各自のバイト代5000円から
1000円僕がもらったりして稼いでましたね。
高校の頃は先生と交渉をするために
学生をみんな集めて授業ボイコットしたり
給食センター襲撃したり(笑)

上間)
襲撃って!!そんなにお腹空いてたんですか(笑)!

幸喜)
そのバイタリティが今の立場に落ち着いてよかったですよね、
道を間違えたら今もどこかを襲撃してたかも!

一同)爆笑

安里)
人の道を外れなくてよかったよなぁ!
とにかくあの頃から
アンチテーゼが原動力だったんですよね。
みんなと同じことはしたくないし、
違うと思うことは違うって言いたいし。
だから皆さんを見ていいなと思うのは、
誰もかりゆしウェアやスーツを着てないでしょう。
ブエノチキンの法人化パーティーでもそうでしたが、
それぞれの立場らしい格好をしている。



ブエノチキン法人化パーティーでの一コマ


かりゆしウエェアやスーツも
もちろんユニフォームだったり
TPOに合わせて選ぶ必要もあるし
好んで着ている方も素晴らしいと思います。
僕もスーツが好きだしね。


ただ、みんなが着てるからそれでいい、
みんなと同じでいい、じゃなくて、
自分で判断してることが大事だと思う。


だから皆さんそれぞれ、自分らしい経営をしてるし、
これからもしていくんでしょうね。
頼もしく感じます!

一同)ありがとうございます!


まだまだ続く後継座談会。
次回、最終回は安里繁信の大ピンチ!?
ご期待ください。







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