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2016年01月14日
安里繁信のしげ脳vol.297「戦争と平和について話してきました〜生福寺「終戦70周年追悼法要」にて〜」
しげ脳vol.287よりインタビュー編集担当の幸喜朝子の出産の為、
しばらくの間、夫・浅野太輝が代打取材中!
「いっしょに考える塾 アサノジュク」を運営する28才、
駆け出し経営者としての目線で安里会長の脳内に迫ります!
浅野)
昨年のことですが、大阪の生福寺で講演をされていましたね。
お寺で講演とは意外性があって驚きましたが、
どういったきっかけでしょうか?
安里会長と仏教の道は結びつけにくい方も多いと思うのですが。
安里)
仏教会にも青年会議所のような青年部(全日本仏教青年会)があるんですが、
その全国大会が戦後70年を機に沖縄で開催されたんですね。
全日本仏教青年会 全国大会 in 沖縄
http://jyba.ne.jp/convention2015.php
https://www.facebook.com/permalink.php?id=252458854831955&story_fbid=826419780769190
その際に以前からご縁があったご住職にお招きいただいて
僕が来賓挨拶をさせていただいたんです。
そのご縁が今でもつながっていて、
今回の泉大津市での「終戦70周年追悼法要」でも
講演してほしいと呼んでいただきました。
浅野)
なるほど、ご縁がつながった講演だったんですね。
でも仏教会で講演とは…何をテーマに話されるんですか?
いつものように生き様とか地域づくりではなさそうですよね。
安里)
テーマは「戦争と平和」。
浅野)
すごく重たいテーマですね。
戦争や仏教に関する教えに関して
講演されることはい今までもありましたか?
安里)
実は初めてだったんだよね。
僕は戦後生まれだし、このテーマで語るに
ふさわしくないと思ったんだけど
せっかく機会をいただいたし沖縄を故郷に持つ僕だから
伝えられることがあると思ってね。
「戦争とは、なんだろう?」
「平和とは、なんだろう?」
と、自分の頭の中を整理するいいきっかけになったよ。
浅野)
具体的にはどういうお話をされたんですか?
安里)
例えば、戦時中の教育は
どのようなものだったんだろうか、
なぜ戦争に突入してしまったのか、
戦争に負けてしまったという事実は
どういう意味をもつだろうか、
そんな観点から僕なりに当時の様子を紐解いた上で
当時の親御さんたちは、子供たちは、
どんな気持ちだったんだろういう
僕なりの考えを伝えさせてもらいました。
1つの例でいうと、特攻隊のこと。
彼らはどんな想いで飛び立っていったんだろうか?
彼らは役割を全うして死にたかったのだろうか?
僕の考えだけど、死にたいと思った人は
いなかったんじゃないかな。
今の僕らがそうであるようにね。
浅野)
きっとそうですよね。
当時は「お国のために」という
教育がなされたと言われてもいますが、
やはり1人の人間として生きたいという
根本は今と変わらない気がします。
安里)
そうなんだ。飛び立つ瞬間の気持ちとして、
彼らなりの正しい道を
迷いなく進んでいると信じていただろうし、
そこに迷いはなかったと思うけれど、
やっぱりどこか、生きていたいはず。
でも、せっかく生きて帰ってこれても
「お母さんごめんなさい」と感じたという
手記を本で読んだこともあって。
浅野)
役目を全うできなかったことを
家族に申し訳ないと感じてしまうんですね。
僕も漫画で、息子の生還を喜びながらも
世間体を気にして「お国の役に立てばよかったのに」と
怒るふりをする母親の姿を読んだことがあります。
お母さんとしては子供が生きて帰ってくることほど
嬉しいことはないように思いますが…悲しいですね。
安里)
結局、今も昔も子供は親に褒められたいんだよね。
誇りに思われたいよね。
それが子供の出来る最大の親孝行だよ。
お国のため、陛下のためにという想いで
飛び立った事実は確かにあるけど、
最後はやっぱりお母さんお父さんに対する想いに
行き着くんじゃないかな。
浅野)
時代を超えても「人は人、家族は家族」ということですね。
安里)
そう。当時を生き抜いてこられた方々から
別の意見や事実をこれからも頂戴するかもしれない。
でも、今の僕が見聞きしてきた
記録の中での戦争理解はそれなんです。
あらゆるものごとの根本は家庭であり、
家族だと、僕は考えているし、
そうであってほしいと思っているよ。
当然僕らは戦争というものを
2度と起こしてはいけない。
恨み憎しみでは未来は切り拓けない。
でも、今も尚、恨み憎しみで戦争が起こっている。
掘り下げていくとそこには宗教の問題も根深い。
今の日本には外国にみられるような宗教の対立がないでしょう。
そのことが如何に世界に誇るべきことか、
講演の中でもそれは伝えさせていただきました。
浅野)
日本に入ってきた宗教を排除するのではなく
どんどん受け入れていく。
日本人らしいですよね。
安里)
僕らは戦争があったことを忘れてはいけない。
でも恨み憎しみを語り継ぐんじゃなくて、
それらすべてを未来志向で
乗り越えていかないといけない。
浅野)
今は「戦後◯◯年」として認識されますが
それはまだ乗り越えられていない
部分があるのかもしれませんね。
安里)
戦後という歴史観に終止符を打って、
未来へつなげていくことが
僕らの世代の役割なんだと思うよ。
世界のあらゆる動きを見て、
今一度「戦争って何」「平和って何」ということを
考えたいなと僕は思っているよ。
講演で最後に申し上げたのは、
「沖縄の住民たちは、ただ殺されたんじゃない。」
ということです。
男も女も大人も子供も皆が、沖縄のため、日本のため、
そして何よりも家族の為に最善を尽くし亡くなられた。
きっとそうであったと、僕は信じている。
それに加えて、沖縄を守るために
日本中から兵士としてやってきた6万5000人以上もの方々が
今も沖縄に眠っている。
僕らが考えなければならないことは
「戦争を二度と起こさないこと」。
世界には今この瞬間にも緊張があるけれど、
沖縄を、日本を守るということを
みんなで考え続けなければならないよね。
浅野)
子どもが産まれてから
海外の戦争のニュースを見て
すごくショックを感じるようになりました。
空爆なんかで犠牲になる子ども達がいると思うと辛いです。
今まで戦争とか平和について考えることは
あまりなかったですが…
会長、またお話聞かせてください!
安里)
いつでも話しましょう!
【インタビュー後記】
昨年は戦後70年という節目を迎え、
多くの方々に「平和とは」と考える機会があったのではないでしょうか。
僕自身も昨年はその様な機会に数多く恵まれ、
「常に未来志向で、僕らのあるべき姿を創りだしていく必要がある。」
と感じました。
同時に、安里会長が語ったように「家族の絆」が
いつでも心の根底にある家庭をこれからも築きたいですね。
まず僕は、身近な仲間の笑顔や成功から応援していこうと思います!
しばらくの間、夫・浅野太輝が代打取材中!
「いっしょに考える塾 アサノジュク」を運営する28才、
駆け出し経営者としての目線で安里会長の脳内に迫ります!
浅野)
昨年のことですが、大阪の生福寺で講演をされていましたね。
お寺で講演とは意外性があって驚きましたが、
どういったきっかけでしょうか?
安里会長と仏教の道は結びつけにくい方も多いと思うのですが。
安里)
仏教会にも青年会議所のような青年部(全日本仏教青年会)があるんですが、
その全国大会が戦後70年を機に沖縄で開催されたんですね。
全日本仏教青年会 全国大会 in 沖縄
http://jyba.ne.jp/convention2015.php
https://www.facebook.com/permalink.php?id=252458854831955&story_fbid=826419780769190
その際に以前からご縁があったご住職にお招きいただいて
僕が来賓挨拶をさせていただいたんです。
そのご縁が今でもつながっていて、
今回の泉大津市での「終戦70周年追悼法要」でも
講演してほしいと呼んでいただきました。
浅野)
なるほど、ご縁がつながった講演だったんですね。
でも仏教会で講演とは…何をテーマに話されるんですか?
いつものように生き様とか地域づくりではなさそうですよね。
安里)
テーマは「戦争と平和」。
浅野)
すごく重たいテーマですね。
戦争や仏教に関する教えに関して
講演されることはい今までもありましたか?
安里)
実は初めてだったんだよね。
僕は戦後生まれだし、このテーマで語るに
ふさわしくないと思ったんだけど
せっかく機会をいただいたし沖縄を故郷に持つ僕だから
伝えられることがあると思ってね。
「戦争とは、なんだろう?」
「平和とは、なんだろう?」
と、自分の頭の中を整理するいいきっかけになったよ。
浅野)
具体的にはどういうお話をされたんですか?
安里)
例えば、戦時中の教育は
どのようなものだったんだろうか、
なぜ戦争に突入してしまったのか、
戦争に負けてしまったという事実は
どういう意味をもつだろうか、
そんな観点から僕なりに当時の様子を紐解いた上で
当時の親御さんたちは、子供たちは、
どんな気持ちだったんだろういう
僕なりの考えを伝えさせてもらいました。
1つの例でいうと、特攻隊のこと。
彼らはどんな想いで飛び立っていったんだろうか?
彼らは役割を全うして死にたかったのだろうか?
僕の考えだけど、死にたいと思った人は
いなかったんじゃないかな。
今の僕らがそうであるようにね。
浅野)
きっとそうですよね。
当時は「お国のために」という
教育がなされたと言われてもいますが、
やはり1人の人間として生きたいという
根本は今と変わらない気がします。
安里)
そうなんだ。飛び立つ瞬間の気持ちとして、
彼らなりの正しい道を
迷いなく進んでいると信じていただろうし、
そこに迷いはなかったと思うけれど、
やっぱりどこか、生きていたいはず。
でも、せっかく生きて帰ってこれても
「お母さんごめんなさい」と感じたという
手記を本で読んだこともあって。
浅野)
役目を全うできなかったことを
家族に申し訳ないと感じてしまうんですね。
僕も漫画で、息子の生還を喜びながらも
世間体を気にして「お国の役に立てばよかったのに」と
怒るふりをする母親の姿を読んだことがあります。
お母さんとしては子供が生きて帰ってくることほど
嬉しいことはないように思いますが…悲しいですね。
安里)
結局、今も昔も子供は親に褒められたいんだよね。
誇りに思われたいよね。
それが子供の出来る最大の親孝行だよ。
お国のため、陛下のためにという想いで
飛び立った事実は確かにあるけど、
最後はやっぱりお母さんお父さんに対する想いに
行き着くんじゃないかな。
浅野)
時代を超えても「人は人、家族は家族」ということですね。
安里)
そう。当時を生き抜いてこられた方々から
別の意見や事実をこれからも頂戴するかもしれない。
でも、今の僕が見聞きしてきた
記録の中での戦争理解はそれなんです。
あらゆるものごとの根本は家庭であり、
家族だと、僕は考えているし、
そうであってほしいと思っているよ。
当然僕らは戦争というものを
2度と起こしてはいけない。
恨み憎しみでは未来は切り拓けない。
でも、今も尚、恨み憎しみで戦争が起こっている。
掘り下げていくとそこには宗教の問題も根深い。
今の日本には外国にみられるような宗教の対立がないでしょう。
そのことが如何に世界に誇るべきことか、
講演の中でもそれは伝えさせていただきました。
浅野)
日本に入ってきた宗教を排除するのではなく
どんどん受け入れていく。
日本人らしいですよね。
安里)
僕らは戦争があったことを忘れてはいけない。
でも恨み憎しみを語り継ぐんじゃなくて、
それらすべてを未来志向で
乗り越えていかないといけない。
浅野)
今は「戦後◯◯年」として認識されますが
それはまだ乗り越えられていない
部分があるのかもしれませんね。
安里)
戦後という歴史観に終止符を打って、
未来へつなげていくことが
僕らの世代の役割なんだと思うよ。
世界のあらゆる動きを見て、
今一度「戦争って何」「平和って何」ということを
考えたいなと僕は思っているよ。
講演で最後に申し上げたのは、
「沖縄の住民たちは、ただ殺されたんじゃない。」
ということです。
男も女も大人も子供も皆が、沖縄のため、日本のため、
そして何よりも家族の為に最善を尽くし亡くなられた。
きっとそうであったと、僕は信じている。
それに加えて、沖縄を守るために
日本中から兵士としてやってきた6万5000人以上もの方々が
今も沖縄に眠っている。
僕らが考えなければならないことは
「戦争を二度と起こさないこと」。
世界には今この瞬間にも緊張があるけれど、
沖縄を、日本を守るということを
みんなで考え続けなければならないよね。
浅野)
子どもが産まれてから
海外の戦争のニュースを見て
すごくショックを感じるようになりました。
空爆なんかで犠牲になる子ども達がいると思うと辛いです。
今まで戦争とか平和について考えることは
あまりなかったですが…
会長、またお話聞かせてください!
安里)
いつでも話しましょう!
【インタビュー後記】
昨年は戦後70年という節目を迎え、
多くの方々に「平和とは」と考える機会があったのではないでしょうか。
僕自身も昨年はその様な機会に数多く恵まれ、
「常に未来志向で、僕らのあるべき姿を創りだしていく必要がある。」
と感じました。
同時に、安里会長が語ったように「家族の絆」が
いつでも心の根底にある家庭をこれからも築きたいですね。
まず僕は、身近な仲間の笑顔や成功から応援していこうと思います!
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