2016年09月21日
安里繁信のしげ脳vol.319「後継者の道筋」
安里繁信のしげ脳vol.319「後継者の道筋」
幸喜)
会長、今日は質問がありまして。
安里)
なんでも聞いてください!
幸喜)
私は両親のお店ブエノチキンの二代目として働いてるのですが
お店に入って4年目にしていよいよ、
本格的に引き継ぎをすることになりまして。
ブエノチキン浦添HP http://www.buenourasoe.com/

安里)
おお!
幸喜)
とは言っても、まずは経理を引き継ぐだけで
お父さんとお母さんは現役バリバリでお店に出るのですが、
会長はどういう流れで仕事や会社を
引き継いでいったんだろうかと気になりました。
うちの場合、父と母から
後継になってくれと言われたわけじゃなく
私が勝手にお店に飛び込んで行ったので、
彼らには継承のビジョンとか計画がないんですよね。
なので私なりに道筋を描いてるのですが
会長はどういう段階を経て
お父様の仕事を引き継いでいったんでしょう。
安里)
僕も後継者としての自覚があったわけではないです。
家族経営って、何かあったら
家族みんな身ぐるみ剥がされる、
というのが世の常じゃないですか。
幸喜)
そうですね~。
安里)
だから僕の場合もそういう状況があって、
資金繰りに危機感を持ったのが最初ですね。
せっかく目の前に
チャンスが来たのに
投資ができない、融資が
受けられないという状況があって。
でも会社の財務体質が
どうなってるのか分からないし
どう改善していいか分からない。
だからそれを調べることから始めたんです。
よし、引き継ごうと思ってやったわけではなく
必要に迫られて勉強し始めたのが、
僕と数字の関わりですね。
幸喜)
その頃はもう「株式会社あんしん」が軌道に乗っていたんですよね、
一体何があったんですか?
安里)
ほら、バブルの崩壊があったでしょう。
会社の規模は大きくないにせよやっぱり余波があって。
ある銀行の不良債権を押し付けられたんです。
そこから事態が深刻化していった。
幸喜)
会長がトラック運転手をしていた頃ですよね。
(運送会社「株式会社あんしん」のトラックドライバーをしていた)
安里)
うん。それで当時知り合いになった方々に相談したり。
あの時代背景が考えるきっかけをくれたと思いますね。
幸喜)
今だからピンチはチャンスだったと言えますが
当時はデージ(大変)だったんでしょうね~。
安里)
全てに余裕がなかったです。
とにかく今日中になんとかしようとか、
がむしゃらだったね。現場もしながらだし。
幸喜)
それは、当時の社長である
お父様に指示されたわけではないんですよね。
安里)
うん、違うね。
親父からすると当時取引していた
その金融機関を裏切れない、だとかね
もう言葉にはできない、いろんな人間模様がありましたよ。
幸喜)
うわぁ、そうでしたか。
安里)
結果として、金融機関を別に移したんですね。
でも親父はそこまでして事業拡大しなくていい、という意見だった。
僕はお客様からのニーズもあるしチャンスだし、
これを乗り越えないと次のチャンスはないと思ったから
しょっちゅう大げんかでしたね。
親父が「お前は出ていけ、
目の前から消えろ」って言えば
僕は生意気ですから
「刺し違えるぞ」と言い返して
「なにぃ」とケンカが始まるわけです(笑)
幸喜)
しかもお二人とも空手してて強いから恐ろしいですね、
誰も止めに入りたくない(笑)
安里)
そんなんだから、
事業を引き継ぐとかの話じゃなかったね。
幸喜)
前に、お二人がケンカしてるのをお母様が
「私が出ていく」と言って止めたという話もありましたね。
安里)
そうそう。
今になって、僕が倅(せがれ)からそんなこと言われたら
どんな気持ちかなと想像できるし
結果として僕の意見を受け入れてくれた
親父の度量の大きさを感じるよね。
幸喜)
お父様が認めてくれたんですね。
安里)
きっと親父は僕のことぶん殴りたいぐらい
ムカついたはずですから
僕の意見で進めていいという決断は大変だったと思います。
幸喜)
そうですよね、
その決断一つで会社が傾くかもしれないわけで。
安里)
そればっかりは分からない事ですが、
僕らはとりあえず選択したことで今がある。
最初の朝子の質問に戻ると、
僕は後継になろうと考えてやったわけじゃなくて
やらざるを得ない状況だった。
それは今の勉強スタイルと同じなんですが
勉強したくてやったことは
今まで一回もなくて、
必要だから学ぶ、
疑問を持ったから調べる、
そういう連鎖でやってきましたね。
幸喜)
それはきっと吸収率が高いですよね。
安里)
うん。学び方って色々あると思いますが
納得するまでやること、ベストを尽くすことですね。
幸喜)
なるほど、そうやって必死にやってれば
辿り着くところは同じかもしれませんね。
安里)
そうだね。
朝子もいずれは経理を人に任せるとしても
中身を把握しておかないと
経営者としての正しい判断ができるかクエッションです。
結論を出す立場になるわけですから
その前提となる基礎的な知識を
身につけるのは大事です。
幸喜)
そうですね!今は必要に迫られて
数字の苦手な私が経理をしていますが頑張ります。
安里)
数字の得意な人っていないよ~!
幸喜)
それが、うちの旦那さんは数字が大好きなんです。
小さい頃から「¥をつければ計算間を違えない子供」
と言われてたそうです(笑)
安里)
朝子にないものを持ってる旦那でよかったなぁ!
僕はロマンとそろばんでいうとロマン派だよ。
もちろんリスクも計算しますがチャレンジャーですね。
だから朝子も頑張ってください。
幸喜)
はい、経営者らしくなれるよう頑張ります!
安里)
経営者らしく、じゃなく、「朝子らしく」。
「●●らしい」っていう既存のイメージは
誰かが作った無難なものですから、
朝子が経営者である理由がそこにあれば
いいお店になると思います。
幸喜)
はい!今は両親の手のひらで自由にさせもらってる状況なので
責任重大ですが・・・やりがいがあります。
安里)
頑張ってください!




幸喜)
会長、今日は質問がありまして。
安里)
なんでも聞いてください!
幸喜)
私は両親のお店ブエノチキンの二代目として働いてるのですが
お店に入って4年目にしていよいよ、
本格的に引き継ぎをすることになりまして。
ブエノチキン浦添HP http://www.buenourasoe.com/
安里)
おお!
幸喜)
とは言っても、まずは経理を引き継ぐだけで
お父さんとお母さんは現役バリバリでお店に出るのですが、
会長はどういう流れで仕事や会社を
引き継いでいったんだろうかと気になりました。
うちの場合、父と母から
後継になってくれと言われたわけじゃなく
私が勝手にお店に飛び込んで行ったので、
彼らには継承のビジョンとか計画がないんですよね。
なので私なりに道筋を描いてるのですが
会長はどういう段階を経て
お父様の仕事を引き継いでいったんでしょう。
安里)
僕も後継者としての自覚があったわけではないです。
家族経営って、何かあったら
家族みんな身ぐるみ剥がされる、
というのが世の常じゃないですか。
幸喜)
そうですね~。
安里)
だから僕の場合もそういう状況があって、
資金繰りに危機感を持ったのが最初ですね。
せっかく目の前に
チャンスが来たのに
投資ができない、融資が
受けられないという状況があって。
でも会社の財務体質が
どうなってるのか分からないし
どう改善していいか分からない。
だからそれを調べることから始めたんです。
よし、引き継ごうと思ってやったわけではなく
必要に迫られて勉強し始めたのが、
僕と数字の関わりですね。
幸喜)
その頃はもう「株式会社あんしん」が軌道に乗っていたんですよね、
一体何があったんですか?
安里)
ほら、バブルの崩壊があったでしょう。
会社の規模は大きくないにせよやっぱり余波があって。
ある銀行の不良債権を押し付けられたんです。
そこから事態が深刻化していった。
幸喜)
会長がトラック運転手をしていた頃ですよね。
(運送会社「株式会社あんしん」のトラックドライバーをしていた)
安里)
うん。それで当時知り合いになった方々に相談したり。
あの時代背景が考えるきっかけをくれたと思いますね。
幸喜)
今だからピンチはチャンスだったと言えますが
当時はデージ(大変)だったんでしょうね~。
安里)
全てに余裕がなかったです。
とにかく今日中になんとかしようとか、
がむしゃらだったね。現場もしながらだし。
幸喜)
それは、当時の社長である
お父様に指示されたわけではないんですよね。
安里)
うん、違うね。
親父からすると当時取引していた
その金融機関を裏切れない、だとかね
もう言葉にはできない、いろんな人間模様がありましたよ。
幸喜)
うわぁ、そうでしたか。
安里)
結果として、金融機関を別に移したんですね。
でも親父はそこまでして事業拡大しなくていい、という意見だった。
僕はお客様からのニーズもあるしチャンスだし、
これを乗り越えないと次のチャンスはないと思ったから
しょっちゅう大げんかでしたね。
親父が「お前は出ていけ、
目の前から消えろ」って言えば
僕は生意気ですから
「刺し違えるぞ」と言い返して
「なにぃ」とケンカが始まるわけです(笑)
幸喜)
しかもお二人とも空手してて強いから恐ろしいですね、
誰も止めに入りたくない(笑)
安里)
そんなんだから、
事業を引き継ぐとかの話じゃなかったね。
幸喜)
前に、お二人がケンカしてるのをお母様が
「私が出ていく」と言って止めたという話もありましたね。
安里)
そうそう。
今になって、僕が倅(せがれ)からそんなこと言われたら
どんな気持ちかなと想像できるし
結果として僕の意見を受け入れてくれた
親父の度量の大きさを感じるよね。
幸喜)
お父様が認めてくれたんですね。
安里)
きっと親父は僕のことぶん殴りたいぐらい
ムカついたはずですから
僕の意見で進めていいという決断は大変だったと思います。
幸喜)
そうですよね、
その決断一つで会社が傾くかもしれないわけで。
安里)
そればっかりは分からない事ですが、
僕らはとりあえず選択したことで今がある。
最初の朝子の質問に戻ると、
僕は後継になろうと考えてやったわけじゃなくて
やらざるを得ない状況だった。
それは今の勉強スタイルと同じなんですが
勉強したくてやったことは
今まで一回もなくて、
必要だから学ぶ、
疑問を持ったから調べる、
そういう連鎖でやってきましたね。
幸喜)
それはきっと吸収率が高いですよね。
安里)
うん。学び方って色々あると思いますが
納得するまでやること、ベストを尽くすことですね。
幸喜)
なるほど、そうやって必死にやってれば
辿り着くところは同じかもしれませんね。
安里)
そうだね。
朝子もいずれは経理を人に任せるとしても
中身を把握しておかないと
経営者としての正しい判断ができるかクエッションです。
結論を出す立場になるわけですから
その前提となる基礎的な知識を
身につけるのは大事です。
幸喜)
そうですね!今は必要に迫られて
数字の苦手な私が経理をしていますが頑張ります。
安里)
数字の得意な人っていないよ~!
幸喜)
それが、うちの旦那さんは数字が大好きなんです。
小さい頃から「¥をつければ計算間を違えない子供」
と言われてたそうです(笑)
安里)
朝子にないものを持ってる旦那でよかったなぁ!
僕はロマンとそろばんでいうとロマン派だよ。
もちろんリスクも計算しますがチャレンジャーですね。
だから朝子も頑張ってください。
幸喜)
はい、経営者らしくなれるよう頑張ります!
安里)
経営者らしく、じゃなく、「朝子らしく」。
「●●らしい」っていう既存のイメージは
誰かが作った無難なものですから、
朝子が経営者である理由がそこにあれば
いいお店になると思います。
幸喜)
はい!今は両親の手のひらで自由にさせもらってる状況なので
責任重大ですが・・・やりがいがあります。
安里)
頑張ってください!




Posted by 安里繁信 at 13:54│Comments(0)
│しげ脳(対談形式)
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